言いたいこと!
私たち夫婦の共通の趣味、それは旅行。
結婚する前から2人でいろんなところに出かけてきました。
結婚式はもちろん海外挙式。これは両親も一緒に行きました。
結婚してからも、年に一度は大きな旅行に出かけています。
今年は夫の病気が発覚し、急遽キャンセルせざるを得ない状況になってしまいました。
そんな時、義理の父から
「そもそもお前たちは旅行に行きすぎ。分不相応だ」
と言われ、ショックを受けました。
確かに、年に1度の海外旅行はお金がかかります。
だけど!
そんなに言われるほど豪遊してるわけじゃないのに・・・。
以前は私の母からもこんな事を言われたことがあります。
「あなた(私)のところは毎年旅行に行ってるけど、弟のところはどこへも行かないからかわいそう」
・・・・はあ?
旅行に行かない家=かわいそう
という公式はおかしい!
世の中には、旅行が好きな人と、別に好きではない人とがいて、好きな人は何を削ってでも行くだろうし、興味がない家はお金が余っていてもいかない!
だから、そこ基準で比べるのはやめて!
弟の家は旅行にはいかないけど、車はうちより頻繁に買い替えるし、ブランドものちょこちょこ買ったりしてるでしょ!と。
残念ながら、海外旅行って派手な響きなんでしょうね・・・。
実際は国内旅行よりお金かかってない場合もあるのに。
うちは旅行が好きなんです。
だから他を削ってでも旅行には行きたいんです。
普段は贅沢はしておりません。
・・・と声を大にして言いたい。
何より趣味を否定されたようで、すごくストレスでした。
これはカナダのレイクルイーズ。
最近は自然をテーマにした旅行が好きです。
もう、今度から隠れていくぞ。
臨時休校
台風が接近しているため今日は小学校が休校。
この夏は休校が多くて親は大変。
すっかり今日は蘭蘭の学校も休みなんだろうと、お弁当を作らないで部屋でゆっくりしたら、何やら台所でガチャガチャ音が・・・。
どうしたのかと見に行くと、蘭蘭が自分でお弁当を作ってる!
「え?今日は学校休みでしょう?」
というと、
「え?私の学校、今日ある!」
というではありませんか!
ええ~?警報出てるのに?
学校のホームページを急いで確認するも、
「本日は学校は通常通りです。
生徒の皆さんは気を付けて登校してください」
との文章が・・・!
なんと!
高校生こそ遠くから公共交通機関を使って通学している子が多いだろうに、大丈夫なんだろうか・・・???
(それとも最近の災害などで小中が過敏になっているだけなのか???)
というわけで、本日休みの娘と私を恨めしそうに見ながら、蘭蘭は1人出かけて行ったのでした。
頑張れ~。
私のホームステイ体験2 トロント編
私のホームステイ体験①に続きまして今日は私の2度目のホームステイについて。
私が2度目のホームステイをしたのはカナダ最大の都市、トロントです。
前回バンクーバーに行ったので、次は違うところに行ってみようとしたわけです。
私がトロントに行ったのはもう20年ほど前のはるか昔のことですが、バンクーバーとトロントでは雰囲気が全く違いました。そもそも同じカナダと言っても時差が3時間くらいありますからね。
バンクーバーにもたくさん外国人がいましたが、アジア系がほとんどだったような。
でもトロントにはありとあらゆる人種がひしめき合っていて驚かされたものです。
ここでは1か月ホームステイをしたのですが、私がステイしたのは街の中心部へも歩いて行けちゃうくらいの距離の住宅街にあるお宅。
バンクーバーは郊外のゆったり一軒家でしたが、こちらは都会の一軒屋。3階建ての少し古い家でしたので、こちらは土足でした。
お母さんと14歳の娘との2人家庭に大きな犬と猫を飼っていて、お母さんはもちろんフルタイムで働いています。娘の方もほとんど家にいなくてほとんど話した記憶がありません。名前も覚えてないくらいに・・・。
3階に2部屋あって、そこを常に留学生に提供している感じでした。
とにかくお母さんも娘も忙しくて、朝どころか夜も一緒にごはんを食べたのは何回あったか・・・。
一緒に同じ家にホームステイしていたメキシコ人のアナがいなかったら、紹介してくれた学校に文句言ってたかもしれません。「これはホームステイではない!」と。
そういうわけで、私の2度目のホストファミリーははっきり言って「はずれ」でした。
これがずっとずっと楽しみにしていた1回目に当たっていたら本当にがっかりしたと思いますが、幸いこの時は最初の1か月だけのホームステイだったしアナがいたので割り切れました。
こんな風に外国人と交流する気もそんな時間的余裕もないくせにただビジネスとして留学生を受け入れている人たちがいるのも事実です。
また、そんなつもりはなくても、やっぱり相性が悪くてということもあるし、こればっかりは何とも言えません。私の場合は1度目のホストがすごく良かったので、2度目がはずれだったからと言ってカナダやカナダ人を嫌いになるようなことはありませんでしたが、もしこれが、最初だったら・・・?私は次もカナダに来たでしょうか?
手術
手術当日。
午前中私は歯の定期健診の予約を入れてたのでそれに行き、午後から娘を連れて病院へ。
夫の家族はすでに到着してくれてましたがちょうどお昼に出たところでした。夫は点滴をされていましたが、まだ元気。
でも「切ったら痛いんだろうな~」と不安げ。
そりゃそうだよね、検査でちょっと切られただけでもずっと食べれなかったんだもんね・・・。
夫の手術が午後2件目の手術らしく、結局3時半に手術室へ。
行きは手術着に着替えて歩いて手術室へ向かいます。
みんなでエレベーターまで見送り。
ここまできたらもう彼はまな板の上の鯉。もうこれからはドクターに委ねるだけです。
先生、よろしくお願いします。
手術自体は1時間と聞いていたので、まあ麻酔が覚めるまでの時間とかもあるだろうし1時間半くらいで戻ってくるのかなと思っていたのですが、結局2時間ちょっと待ちました。
私の両親も途中からやってきて、最初の1時間は割となごやかにみんなで待っていたんですが、1時間半を過ぎたころからはみんなそわそわ。
まさか、思ってたより大きくておなかとかあごから皮膚を取ってるんだろうか・・・とか、術中に何か想定外のことが起こったのか・・・とか。
嫌な事ばかり思い浮かんでしまいます。
2時間を過ぎたころ、ようやく執刀してくださった主治医の先生が来られました。
切り取った舌を見せてもらったのですが・・・
結構でっかい・・・。
こんなに切り取って舌は大丈夫なの???
みんなびっくりしていましたが、当初予定していた箇所だけで済んだとのこと。
時間がかかったのは使う予定だった機材の調子が悪くて手間取ってただけで、手術自体は1時間で終わっていたという事でした・・・。(あとでそれも大丈夫か?と思いましたが)
部屋に戻ってきたのは5時半くらいでしたが、8時を過ぎたら歩いてトイレに行ってもいいと言われました。
病室に戻っていた夫を見たら、涙が出てしましました。
よく頑張ったね。
麻酔からは覚めてるけど、まだぼうっとしてて問いかけには「んっ」って感じで声を出すんですが、とても喋れる感じではない様子。
何もしてもらいたくない様子なので私はただ側にいることしかできませんでした。
少しでも早く楽になりますように。
ホストファミリーになるには
ホストファミリーをしている、と言うと、ほとんどの人は「すごいね!」と驚き、そしてだいたい「うちは無理だわ!」と言います。
無理だと思う理由は様々。
1.英語が喋れない
日本に来る学生の目的は様々なので必ずしも英語が話せる必要はありません。
我が家に今来ている蘭蘭は日本語を勉強するために来ているので、家での会話は日本語です。
2.部屋がない
これも家族が多い家は仕方ないことですが、必ずしも個室を与えることを条件としていない事もあります。同性とであれば家族と同じ部屋で寝ても良いという条件の場合もあります。でも1、2泊ならともかく、私ならせめて個室は欲しいと思うので、部屋がないのはちょっと難しいかもしれません。
3.自分の家族の面倒だけでいっぱいいっぱい
これも仕方ないですよね。でも大学生や社会人のホームステイヤーなど相手がある程度大人であれば、あれこれ世話をやいてやる必要はなく、結構ほったらかしにしちゃっても大丈夫なんです。
4.家族が嫌がる
意外と多いのがこれ。自分は興味があっても、家族の中に「家の中に他人を入れるのが嫌だ」という人がいると、ホストファミリーは無理でしょう。
ホストファミリーになる条件として「家族皆が受け入れを賛成していること」というのはよくある項目。誰か1人でも反対していると、来てくれる学生はもちろん、家族みんなが嫌な気分になってしまいます。
だいたいよく出会うできない理由はこんな感じです。
自分はやりたいけど・・・という4の理由が一番残念ですが、やはり「家族として受け入れる」という前提のホームステイですからなかなか難しいところ。
確かに他人を家に入れるというのは、特に日本のように狭い住宅事情の中では厳しいものもあると思います。私もこれまで2度のホームステイを始め、海外でたくさんのお宅に行ったことがありますが、どこも日本の我が家より遥かに大きなお宅で、バスルームもたくさんあるような家ばかりですから。
我が家なんてマンションなのでお風呂どころかトイレも1つ。
最初は気を使うなという方が無理な話ですが、こればかりはどうしようもありません。これが日本のスタンダードなんだ、と受け入れてもらうしかありません。
私のホームステイ体験1 バンクーバー編
私は若い頃、2度のホームステイを経験しました。
1度目は大学生の時。
場所はカナダのバンクーバー。
この最初の体験が私の人生を変えた、と言っても過言ではないでしょう。
今私がこうして日本でホストファミリーになっているのも、この体験があったからこそだと思っています。
海外への憧れを私が持ち始めたのは、中学生の頃。
私は英語が好きだったわけでもないし(むしろ英語はあまり勉強してなかった)家族で外国へ行ったこともなし、田舎育ちで外国人なんて見たこともないような子供時代を過ごしたのですが、なぜか中学生頃から外国に行ってみたいなあと強く思うようになりました。
そして高校生になってやっと、苦手だった英語を「外国に行きたい」という理由で一生懸命勉強し始めたのです。高校生の時夏休みや春休みを利用してホームステイに行く子がいましたが、うちはどんなに頼んでも行かせてもらえませんでした。
クラスメイトなんかが、気軽にホームステイに行かせてもらっているのを恨めしく思っていたものです。
でも、大学に入ることができたら、絶対に行く!アルバイトで自分でお金を貯めてでも絶対に行く!と決心し、大学に入り、フリーター並みに働き(?)そして大学2年の夏に念願のカナダへ旅立ったのです。
こちら私が2ヶ月お世話になった家
本当にキレイで大きな家で、まるで映画に出てくるような家だと感動したものです。
この2か月のホームステイは、当時私が通っていた大手英会話教室を通して申し込んだもので、現地の英語学校にホームステイをしながら通うというプログラム。残念ながら学校の生徒はほぼ日本人でしたが、全く知り合いのいない中で参加してたくさんの友達ができたことは良かったと思います。
初日、学校に迎えに来てくれたホストマザーの車でこの家に帰ってきた時のことは今でも鮮明に覚えています。
車のルームミラーの上にボタンがついてて、それを押すと家のガレージのドアがガラガラ・・・と開くのでびっくりしました。
ご覧のとおりの郊外の立派な一軒家で、裏庭も広くて、階段は螺旋階段だし、靴は脱いで上がる(カナダでも新しい家ではそれが普通だと知った)し、とにかく本当に何もかもが新鮮でした。
30代の夫婦と小さな男の子が2人いる家庭で、お母さんは専業主婦。
私が通うダウンタウンの学校まではバスで50分かかりましたが、日本でそれ以上の通学時間をかけていた私にはノープロブレム。バス代も日本に比べるとずいぶん安かったと思います。
当時は円高で、カナダドルも1ドル75円くらいと、物価も日本に比べて安い時期でした。
朝ごはんは勝手に好きなものを食べてねと、最初にシリアルやパンの入っている場所を教えられました。
朝7時頃私が起きて下に行くと、いつも5才の長男だけ一人でぼーっとテレビを見ていて、お父さんが出かけていくところ。
私はいつも冷凍のワッフルと牛乳を朝食とし、前の晩にお母さんが作って置いてくれるランチ(サンドウィッチと果物など)を持って学校へ行っていました。
学校は3時頃終わり、だいたい5時くらいに家に戻るとお父さんがすでに家にいて掃除機とかかけてるのが不思議でなりませんでしたが5時半くらいには家族で食事。
夕食はみんなでわいわい言いながら・・・というのを想像していましたが、この家はキッチンのテーブルがL字型になっていて、そこに横にずらっと並んでもくもくと食べる・・・という感じでした。
あまり会話しながら食べた記憶がありません。
食事はだいたいワンプレートで、お肉にトウモロコシ、とかそんなシンプルなもの。
2ヶ月いて食べられなかったものは、豆のスープ(私は緑色以外のマメは苦手でした)とお母さんが手作りした(から余計申し訳なかったけど)ケーキ。すっごい甘くて、食べると砂糖のじゃり・・って食感が残ってて・・・「ごめんなさい、ちょっと食べられません」って残しちゃったのをよく覚えています。あれは申し訳なかったけど・・・でも甘すぎた。他のお菓子は大丈夫だったけど、あの黄緑色のケーキだけはよく覚えてます。
子どもが小さかったからお母さんは夕食を片付けるとすぐ子どもたちをシャワーに入れて寝かしつけたりするので、今思えば私もそんなにがっつり家族の中に溶け込んでいたかと言われたら疑問なんですが、学校から早く帰った日は長男とよく遊びました。(次男はあまり懐かなかった)
週末は主に友達と遊んでて、特に観光に連れて行ってもらったことはありませんが、おばあちゃんの持ってる山小屋に泊まりに行ったり湖までドライブに連れて行ってもらったりしました。
途中から空いているもう1部屋にもドイツ人とか韓国人とかの女の子がホームステイしたりして、その子たちと喋ったりするのもいい経験でした。(韓国の子の方はホストファミリーと折りが悪くて色々あったんですが・・・)
今思えば当時は私も人見知りでそんなにホストに心を開いて色々喋ったりとかはなかったように思いますが、それでも2ヶ月良くしてもらって帰国するのは本当に悲しかったのを覚えています。
ここのご家族(というかホストマザー)とは未だに連絡を取り合っており、その後2度訪れています。
たった2ヶ月でしたが、このファミリーと出会えて本当にラッキーだったと思っています。
入院
癌が確定してからはお互いの両親に報告。どちらも当然ショックを受けていましたが当人の前ではあまり感情を出さないように努めていたようです。
本人はその後PET検査を受け、その結果は家族と聞きに来てほしいと言われていたので後日私は初めて病院へ。
この時にはもう癌を切除するという事が決まっていたため、手術や入院についての説明も兼ねてのお話でした。
まずPET検査の結果、転移は見られない、とのこと。
本当に安心しました。
あとは手術で病原となる舌の部分を切り取ってみないことには分からないと言われました。先生の見た感じでは全部切ってしまえるだろうという感じではあるけど、切った癌の種類によってはその後抗がん剤治療をする場合もある、とのこと。
もし抗がん剤が必要なければ、切っておしまい。あとは転移が1年以内によく起こるので経過観察をしていく、という感じ。
どうか切っただけで終わりますように。
切った後はしびれなどが残るが、言語障害や味覚障害になることはない、一時的にはなるかもしれないが最終的に気にならないところまで治るでしょうと言われました。
こないだ生検でちょこっと切っただけで1週間痛くてほとんど食べれなくなっていたというのに、今度はどれだけ痛いんだろうかと思いますが・・・仕方ない。悪いものは早く切ってしまわなければ。
癌と診断されてから、主治医の先生から言われたのは「まず切る」という治療法。
ネットなどで色々見るといろんなケースがあるみたいですが、私たちは素人でよく分からないし、セカンドオピニオンもできますから言ってくださいねと主治医の先生も言って下さったようですが、彼も私も「原因となっているものは一刻も早く取り除いてほしい」というのが共通の気持ちだったため、主治医の先生にお任せすることにしました。
夫はできるだけ早くに手術をしてほしいと望み、翌週月曜の手術が決定。
手術自体はうまくいけば1時間くらいで終わるものだそうです。
こうして2週間の入院が決定、手術日の前日に病院入りすることが決まりました。
ホスト、どうする?
実は夫の癌が発覚した時、蘭蘭は夏休みのため中国へ一時帰国中。
彼女は夏休みが終わったらまた我が家に戻って来る予定でした。
彼女が我が家に戻って来る予定だった日が、まさに夫の手術日になってしまったのです。その時点ではまだ彼女が何時に戻って来るのか分からず、私もその後の夫の入院などで自分たちの生活がどの程度影響を受けるのか分からず、果たしてこの状況の中でホストファミリーとしての機能を果たせるのだろうかと不安でした。
ただ同時に、どちみち私はその間仕事をしなければならないし、子どもだってそのうち夏休みが終わって学校に通わなければならない。だから、夫が入院していようが、私たちは今まで通りの生活をしなければならない。
そういう状況で、この家に娘と私の2人きりになってしまうというのも、また同じように不安だったのです。彼女が1人この家にいてくれるだけで、家の中が和むのではいう思いもあったのです。
ここは思い切ってホストを辞退すべきなのかどうか、悩みました。
しかし、事が急すぎて、これから長期のホストがすぐに見つかるのかという不安もあり。何しろ彼女が帰ってくるまで1週間を切っていたのです。
彼女は当然またうちに帰ってくるつもりで帰国しているので、我が家には彼女の大量の荷物が残ったままだし、これからホストチェンジとなるのは色々大変そう。
私が1人思い悩んでいると、夫が不思議そうに一言。
「別に彼女には関係ないじゃない?帰って来てもらえばいいのに」
・・・・。
この一言で吹っ切れました。
そうか、帰ってきてもらえばいいのか。
もし、彼女のホストをしてくれる家庭がほかにもたくさん控えているなら、ここで他の家庭にバトンタッチすることもいいのかもしれません。でも、土地柄この辺ではまだホストファミリーをしている家庭が少ないようで、代わりの家庭もあまりないんだと以前聞かされていたこともあって、今回はまた引き受ける覚悟を決めました。
結局彼女が帰ってきたのは手術日の夜だったので、全く問題なく迎えることができました。無邪気に夏休みの事を話してくれる蘭蘭を見てると、やっぱりこの子が来てくれて良かったと思えました。
彼女は休み中家族でいろんな所に旅行したみたいで、たくさん思い出を作ってきたみたいです。
次の冬休みまで、また一緒に頑張ろうね。
確定
5日後、1人生検の結果を聞きに行った夫。
前回切り取った患部の生検結果と、陽性だった場合は首周りのCTを取る(転移を調べる)予定で出かけました。
私が調べたところだと、舌癌はリンパに近く転移しやすいとのことで、仮に癌だったとして一番心配なのは転移しているかどうかという事。
癌かどうかって状況だし、私も一緒に行こうかと聞きましたが仕事もあるし子供もいるし、1人で行けるからと出て行った夫。
数時間後、
「やっぱり癌だった」
と電話がありました。
彼も覚悟はできていたのでしょう。
少なくとも電話口では冷静でした。
私も覚悟はしていたので前回「悪性っぽいと言われた」と聞いた時よりはショックは少なかったですが、これからどうなるんだろうという不安が。
とりあえずCTでは転移の疑いはなさそうとのことで安心しましたが、来週PETで全身の転移を調べることになったそうです。
40を過ぎたとき、夫婦でこんな話をしたことを思い出します。
人生80年だとして、私たちはその半分を生きた。
その間日本は平和だったし、自分たちは災害や事件や事故の当事者になることもなく、愛情ある家庭で不自由なく暮らし、好きなことをして来た。自分がやりたい仕事に就き、好きなものを食べて着て、好きなところを旅してきた。
この先何があるかわからないが、これまでの私たちの人生に悔いはない。
あとの半分は子供のために生きよう、と。
これまで私たちに起きた最大の不幸は、最初の子を早産で失ったこと。
その後も流産を繰り返したりして、なかなか子供を授からなかったこと。
6年かけてようやく娘にも恵まれ、つらい日々を乗り越えて来れました。
今回も、きっと乗り越えてみせる。
娘が成人するまでは、私たちは2人共生きなきゃいけないんです!
疑い
今日は、夫の病気について。
うちの夫、先月ずっと口内炎ができて痛いと言ってて、かかり付けの歯科医に処方してもらった口内炎に効くケナログという薬を塗ったりチョコラBBを飲んだりしていたのですが2週間も完治せず、紹介状を書いてもらい総合病院へ行くことに。
総合病院では患部を切り取られて生検に出され、また結果を聞きに来てということになったそうですが、医師の見た感じ「悪性っぽい」と言われて帰ってきます。
舌癌。
正直、紹介状をもらった時点で彼の症状を色々検索していたので、最悪そうかもしれない・・・という嫌な予感はありましたが、いざそう言われると、やっぱりショックでした。
このご時世、2人に1人は癌になると言われていますが、舌にできる癌は全体的には多くないみたいで、調べてみてもあまり情報がない。
癌の闘病記ブログもたくさんありますが、舌癌のブログはあまりなく、最終的に悲しい結果で終わっているものが多い・・・。
私たちももう40代。
私の周りでは、この5~6年くらいの間に30-40代の職場の仲間や友達がこれまで3人癌を患っていて、3人共今は元気にしているので、「癌=死」みたいな構図はないのですが、それでもやっぱり受け止めるには重い病気です。
この時点ではまた確定したわけではありませんでしたが、私としては「専門医が見て悪性っぽいというなら、ほぼそうなんだろな」と覚悟しました。
次回へつづきます