3.11
あれからもう11年。
あの日、私は家にいました。
お座りができるようになった娘をリビングで遊ばせていたところ、彼女がたまたまテレビのリモコンをいたずらしてテレビをつけたんです。
その時に東北で大きな地震が起きたのだと知りました。
大変だと思った次の瞬間には押し寄せる津波の映像が次々に流れ出し、どこの局も全部そんな映像。
呆然としたのを覚えています。
ただテレビの中の世界と、今自分のいる世界のギャップに、何とも申し訳ない気持ちになりました。職場で寄付が集められました。お店の募金箱を見るたびに募金をしました。
西日本はあの時何のダメージも受けていないのです。だけど日本中が喪に服しているような、普通のことをすることがひどく後ろめたくなるような、そんな雰囲気がありました。
私には普通の生活を送りながら、寄付をするくらいしかできませんでした。
仙台に1人、友達がいました。
彼女のSNSにはしばらく何の投稿もなく、彼女の友達が心配の書き込みをしていましたが数日経っても返事は入っていませんでした。
彼女の勤め先のHPに、「社員はみな無事です」という書き込みを見つけたときは本当にほっとしました。
後に、避難所に行っていてネットも繋げる状態じゃなかったことを知りました。
11年。
いまだに故郷に帰れない人も多くいると聞きます。
犠牲になった多くの人たちに祈りを、
そして生き残った人たちに守りを。